2009年 07月 02日
呪怨 黒い少女 |
社会的に抑圧された女性の姿を恐怖映画の中に落とし込みつつ、一方でやはりその女性を恐怖の対象として描いてきたのが「呪怨」というシリーズであったと思う。それはリング三部作のように単純に「女性嫌悪」と割り切れるような代物ではないとは断言できるが、(注1)よくも悪くも「清水崇」という一人の男の女性観が色濃く反映されており、そこに表象される女性像に「差別」と取られかねないものがあったことは否定できない。
『呪怨 黒い少女』ではそういった清水が描いてきたものを継承しつつも、そこで描かれてきた女性観を塗り替えるような演出がなされている。
その違いがもっとも端的に表れているのは「家」の扱い方だろう。
清水版『呪怨』では女性=伽椰子を縛り付ける存在として「家」が描かれており、そこには制度としての「家族」が色濃く反映されていた。一方安里麻里版では、「家」(というよりも「部屋」というべきものだが)は女性の性と強い結びつきを持って描かれる。冒頭の若者が聞き耳を立てるシーンや、その若者の部屋で女が男を拒む理由が「こんな汚い部屋で」という台詞であること、また女性が社長が家まで来ることを拒むシーンなど「家」と「性」を結びつける描写がいくつかあることから、安里版『呪怨』において「家」は拡張された女性の身体であるといえないだろうか。そこでは男の性に対する無責任さが描かれ、そして裁かれるのである。
冒頭のシークエンス、少年が教室で少女が苦しみのたうち回る姿を発見するが、少年は教室の中へと入ることが出来ずに、先生を呼びにいくことしかできない。そして、少年は少女の苦しみの声を聞き逃してしまう(というより、少年は教室の音を聞き取ることができない)という一連の流れに端的に表れているが、男は女の苦しみの正体を理解できないし、ましてやそれから女を救う手立てなど持ち合わせていないのだ。だからこそ「黒い少女」はその姿をほとんど女性の前にしか現さないし、それを悪魔祓いしようと対峙するのもまた女性達なのだ。(もしかしたらこの映画は、女性がエクソシストを行う世界最初の映画なのかもしれない)
また、男の頭を壁に打ち付ける等、幽霊であるはずの黒い少女が肉体の力を持って攻撃してくるシーンが多数見受けられるが、それはジョン・カーペンター的なアクション嗜好の表れであると共に、(注2)「女性が力で男性に劣っている」という先入観ありきだった今までの幽霊描写への、監督なりの返答のように自分には見えた。
『トライワイトシンドローム デッドゴーランド』に引き続いて安里麻里はまたきっかし仕事をしていて、ホッとしたし嬉しかった。監督、次回作は『ゴースト・オブ・マーズ』みたいなのを期待してます!
(注1)詳しくは鷲谷花「『リング』三部作と女たちのメディア空間――怪物化する「女」、無垢の「父」」(『怪奇と幻想への回路 怪談からJホラーへ 日本映画史叢書8』二〇〇八年八月)参照のこと。「悪魔祓い」とその問題点についてなども論じられている。Jホラーのファンもそれを否定したい人も必見かと。
(注2)『トライワイトシンドローム デッドゴーランド』の風船の怪物なんか特にカーペンターっぽいと思う。
『呪怨 黒い少女』ではそういった清水が描いてきたものを継承しつつも、そこで描かれてきた女性観を塗り替えるような演出がなされている。
その違いがもっとも端的に表れているのは「家」の扱い方だろう。
清水版『呪怨』では女性=伽椰子を縛り付ける存在として「家」が描かれており、そこには制度としての「家族」が色濃く反映されていた。一方安里麻里版では、「家」(というよりも「部屋」というべきものだが)は女性の性と強い結びつきを持って描かれる。冒頭の若者が聞き耳を立てるシーンや、その若者の部屋で女が男を拒む理由が「こんな汚い部屋で」という台詞であること、また女性が社長が家まで来ることを拒むシーンなど「家」と「性」を結びつける描写がいくつかあることから、安里版『呪怨』において「家」は拡張された女性の身体であるといえないだろうか。そこでは男の性に対する無責任さが描かれ、そして裁かれるのである。
冒頭のシークエンス、少年が教室で少女が苦しみのたうち回る姿を発見するが、少年は教室の中へと入ることが出来ずに、先生を呼びにいくことしかできない。そして、少年は少女の苦しみの声を聞き逃してしまう(というより、少年は教室の音を聞き取ることができない)という一連の流れに端的に表れているが、男は女の苦しみの正体を理解できないし、ましてやそれから女を救う手立てなど持ち合わせていないのだ。だからこそ「黒い少女」はその姿をほとんど女性の前にしか現さないし、それを悪魔祓いしようと対峙するのもまた女性達なのだ。(もしかしたらこの映画は、女性がエクソシストを行う世界最初の映画なのかもしれない)
また、男の頭を壁に打ち付ける等、幽霊であるはずの黒い少女が肉体の力を持って攻撃してくるシーンが多数見受けられるが、それはジョン・カーペンター的なアクション嗜好の表れであると共に、(注2)「女性が力で男性に劣っている」という先入観ありきだった今までの幽霊描写への、監督なりの返答のように自分には見えた。
『トライワイトシンドローム デッドゴーランド』に引き続いて安里麻里はまたきっかし仕事をしていて、ホッとしたし嬉しかった。監督、次回作は『ゴースト・オブ・マーズ』みたいなのを期待してます!
(注1)詳しくは鷲谷花「『リング』三部作と女たちのメディア空間――怪物化する「女」、無垢の「父」」(『怪奇と幻想への回路 怪談からJホラーへ 日本映画史叢書8』二〇〇八年八月)参照のこと。「悪魔祓い」とその問題点についてなども論じられている。Jホラーのファンもそれを否定したい人も必見かと。
(注2)『トライワイトシンドローム デッドゴーランド』の風船の怪物なんか特にカーペンターっぽいと思う。
by unuboreda | 2009-07-02 15:15 | Trackback | Comments(0)

