ダークマン |
素晴しいのはその設定である。
普通のヒーローは、正体があり、それを隠してヒーローの仮面を被る。日常の生活でのアイデンティティーが前提にあって、その上にヒーローとしてのアイデンティティーを被せて活躍している。
そのため、バットマンのブルースウェインにしろ、スパイダーマンのピーターパーカーにしろ、ヒーローの仮面を脱ぎ捨てることができる。ヒーローとしてのアイデンティティーを捨てて、その役目を終えて一般人として生きることが可能なわけだ。
しかしダークマンにはそれができない。彼は普通のヒーローと違い、「素顔」と「仮面」の関係が逆転しているから。
彼が日常生活を送るためには、それ用の仮面を被らなければいけない。99分しか持たない仮面を。彼にとっては日常の姿が本当に「仮の姿」なのだ。彼は常に99分という時間を考えなければ日常生活を送れないし、その素顔であるダークマンというヒーローの存在から彼は逃げることはできない。ヒーロー物風にカッコつけると、彼がヒーローとして戦うのはいわば「宿命」なのである、なんつって。(だから彼は劇中で「自分は誰だ」と自問自答するシーンがあるのだー。普通のヒーローはヒーローであることに疑問をもつことはあっても自分であることに疑問を持つことはないのだー)
そして他人の顔をつけて悪と戦うダークマンの活躍が大衆に知られることがあるだろうか?いや、ない。シンボルとしてのヒーローの顔を持たないからな。スパイダーマンみたいに街の人達に持ち上げられることもないし、スーパーマンみたいに悪人に畏れられることもない。バットマンみたいに街の象徴になることもない。彼がいくら凄い敵を倒そうともそれを認識されることがないのだ。
ヒーローという宿命から逃れることができず、その上その功績が誰かに認められることはない・・・。これぞ究極のダークヒーローだ!
追記
安月給の講師「と、いうわけで如何にダークマンが優れているか分かったかね?」
生徒「センセーイ、人の皮をコピーしても顔の骨格が変わらない限り同じ顔にならないと思いまーす」
講師「うっせぇ糞餓鬼!そんなどうでもいい細部に突っ込みいれるんじゃねぇ」
生徒「後先生、スパイダーマンとの比較をしないと。スパイダーマンの衣装を作るシーンと研究のシーンとか、ラストとか」
講師「ああ、この映画は蜘蛛男のプロトタイプ、コインの裏といえる作品だからな」
生徒「スパイダーに比べて前半の心理描写やりすぎ暗すぎですよね、B級の癖に」
講師「お前は何も分かっちゃいない、B級B級と人括りにしやがって。マーブル派であろうライミにとっちゃバットマンなんてヌルいんだよ、甘いんだよ。あんなのダークヒーローじゃねぇ、これが本当のダークヒーローだ!と思いっきり悲哀や復讐を前面に出しているんだからいいんじゃないか。演出にしても遊園地でのピエロの意味が2回目であからさまに狂気に傾くところとか、変な大作よりも小道具の使い方がうまいわ」
生徒「その小道具の使い方がB級なんじゃないですか」
講師「それは金がないからチャチくみえるだけだ」
生徒「所詮金かよ」
講師「所詮金さ」
生徒「じゃあお前駄目だな安月給」