消失の寓意 - 『王様ゲーム』 |
しかし、後半になるにつれて、表の物語としては反則スレスレに足を突っ込みつつも、映画はただの犯人探しをすっ飛ばしてメタフィクションの領域へと侵入していくことになる。
この映画における「王様」、写真などに代表される「映像」や人々の「記憶」を好き勝手に改ざんし、画面の中の登場人物を自由に抹消し、跡形もなく手品師のように消してしまうことができる「王様」は、映像技術の発達により非人間性がより強固になった「映画」それ自体だと言ってしまうのは放言だろうか?映像の操作・改ざんが容易になったがために存在意識が希薄となってしまった被写体の身体と、それ故に非人間性がさらに強まってしまった映画との対立がこの映画の暗喩として描かれており、だからこそ、幾人かの王様ゲームに逆らおうとする登場人物たちは、主体的にカメラから逃げ去ろうとするのではないか?
・・・そんなことが頭をよぎったのは、「消失」という、残酷描写を介さないが故に、もっとも残酷な死の描き方を何度も繰り返し見せられたからに違いない。この映画の中で手を変え品を変え何度も登場人物が消え去る場面が描かれているのだが、それらは底冷えする何かを感じさせるものに仕上がっているし、少なくとも現代の若者の寄る辺なさがそこに投影されていることは確かだろう。(また、役者のたどたどしさがそれをより強調しているとこに、鶴田法男の熟練を感じる)そして、その部分では、『スクリーム4』を超えていたように、自分には見えた。
確かにメインヒロインの一人が死ぬ理由には悪い意味で唖然とさせられるが、それでもこの映画の演出の面白さは買いだろうと思う。終わったと思われているJホラーというジャンルの、その可能性を感じさせる一作です。