虹色のプリズム - 『ねらわれた学園』 |
虹色のプリズム - 『ねらわれた学園』
はっきりいって、ついていけない人、合わない人にとっては本当に駄目な映画だとは思いますが、これなしに今年の日本のアニメーションを語ることは絶対に許されない作品だと断言できます。
もう、ファーストシークエンスのタガのはずれた桜吹雪から震撼したのですが、動きや画どれをとっても超絶的な作画とCG、画面エフェクトが織りなす虹のプリズムのような画面が、全編に渡って展開されていることにはただただ圧巻です。幻灯のようにきらめきつづける画面はアニメーターの意地と狂気を感じるもので、日本のジャパニメーションどころか海外の芸術的な、数年かけてイメージを描き出すアニメーションでさえ、これほどのイメージの渦に包まれた作品は少ないんじゃないかとさえ思いました。この映画に感嘆させられるのは、例えばufotable 『ギョ』のように、CGとセルアニメとの区分けがないままに画面が彩られている点で、CGや手書きなど手法の問題ではなく、「何が描きたいのか」、「何を伝えたいのか」ということが大事なのだ、ということを劇中の台詞なしに再確認させられてしまい参りました。もう、ストーリー云々を語ることがばかばかしい、と思ってしまうような画面で、ずっとこの世界に浸っていたい気分に。(ちなみに、CGエフェクトによる効果は映画館で観た方が絶対いいよ!って家帰って予告編みたときに思った)
話のテーマに関しても、新海誠を代表する一連の青春作品を踏襲しつつも、モノローグによってそれぞれの登場人物の内面を語らせ、その上で彼らのすれ違いの様を描いていく構成になっており、人々の関係・コミュニケーションといったものを描いた会話劇のような趣きになっています。携帯電話と人が繋がることを巡るエピソード、登場人物の内面や時系列が錯綜する後半部分など、『Lain』の中村雄太郎の新作だと勘違いしたまま劇場を後にした位印象が被ったのですが、その中で思春期の危うさと不安、新海誠が描けなかった人々の関係性とが描かれていたのではないでしょうか。逆説的なラストシーンを含めて、その孤独と不安定さ、そして多様性はきっちり表現できていたと思います。
もっとも、欠点がないわけではありません。キャラクターの造形は一昔前の、悪い意味でアニメ的なものであり、特に女性キャラクターのそれは性の描き方が克明であるが故にオタクに媚びを売るアニメだと眉を潜める人は少なからずいるでしょう。また、リアリティや現実感に関しては、どの場面を切り取っても存在しません。もっとも、製作者はそのようなものがアニメーションに必要とは思っていなかったようで、そんなものおかまいなしにキャラクターを動かし、過剰なまでに世界を彩りのあるものとして描いていきます。京極の未来の設定、演劇に学校での騒動が重ね合わされる様を踏まえれば、フィクションにのみ彩りのある世界が存在する、そういった世代の「青春映画」という日本のアニメーションの屈折を、この映画はより強調して描いているかもしれません。
だからこそ、彼だけが未来、つまるところ色あせた現実へと観客と共に戻されるのかもしれません。誰か想ってくれた他者がいるはずだという言葉だけを、胸のポケットにしまいこんで。
>タガのはずれた桜吹雪
この一言で一気にあれやこれや甦ってきました
劇場体験でしか満喫しえない類の作品ですよね
やや語弊があるかも知れませんが同じ劇場に
知的障害と思しき女の子がいて、あの過剰な映像が最高の輝きを見せる瞬間のそのたびに
歓声を上げていらして、なんだかサーカスか何かレビューを見ているような心地でした
映像処理もそうなんですけど、その中でリアリティ完全無視したケンジとナツキの動きが
カートゥーンめいていて、でも絶対本場のカートゥーンではありえない日本的なアニメ世界でっていう、
なかなかに新鮮な印象です.
公開初日で隣のおじさんが途中退場していたりと、合う合わないは凄くあるし欠点も数え上げたらキリがない映画だとは思うのです。(ちなみに、ヒノキオさんが『花の詩女 ゴティックメード』のレビューで言っていた下品な作品ってこれなんじゃないかとずっと思っていました)
ただ、『ももへの手紙』とかジブリみたいなアニメーションがある一方で、こういったアニメらしい過剰さを追求する作品があってもいいんじゃないかなぁと、観ていて思っていたのも確かなのですよ。新海誠はこれを観て悔しがってくんねーかな、とか勝手に思っていたりしていて。なんというか、方向性としては『トロン・レガシー』と色々印象が被るところがあります。映画としては破綻しているかもしれんし偉い人は評価しないかもしれないけど、意欲的な取り組みや独自な魅力を感じた、という点で。