サスペリア |
この映画が作家的かと言われればYESだろう。あんな原色で異常な映像をとる人間がそう多くいるとは思えません。
ただ問題なのが、その作家が表現したいことが「美少女と殺人」ないし「美少女が殺される場面」という社会には絶対認められないものなわけで、この映画を作る人を作家とは言わない人はいるだろうな、とは思う。
そしてその表現の目標は極めて商業的でもあるわけで。誰だってそういうものが見たい、という暗い欲求を持っていて、そういう欲求を満たす作品は昔から数え切れないほど作られてきている。そのためにこの映画を「商業的」と言う人もいっぱいいるだろうし、一部分それは正しい判断ではあるとは思う。
つまり、ダリオ・アルジェントは「一番作家として認められないだろう作家」であると共に「作家」と呼ばれるものの問題を一番孕んでいる作家ではないでしょうか?(そうか?と思った方、自分で書いている本人もホントかよwと思っているから安心してください)
・この監督の作品が元ネタの「クロックタワー」というゲームがあります。
何もできない少女をシザーマンという巨大なハサミを持った男が追っかける、という結構サディステックで斬新だったゲームだと記憶している。(プレイヤー側がほとんど攻撃といった攻撃をモンスターにすることができない、という点で。あんまゲーム詳しくないから斬新なのかどうか分からないけどプレイ当時凄く新鮮に感じた。)
そのゲームでプレイヤー操る少女にシザーマンが「シャキーン、シャキーン」とハサミの音を立てながら近づいてくるシーンで、ハサミの音の変わりにこの映画のメインテーマを流すと凄く印象が変わると思います。
ゲームのハサミの音が被害者になろうとしている少女の恐怖を表す音なのに対して、この映画のテーマは加害者側の屈折したサディズムを表現しているようなそんな音だから。
あのテーマが流れ始めると、まるで映画自体・画面自体が快楽殺人鬼になのかと思うくらいテンションが高くなる。
その時思ったのが「この監督、映画撮っててよかったぁ。もし他の職業だったら何やっているかワカンネーよ」ということだったり。テッドバンディの写真に似ているなぁ、とおもったらもっと神経質で内向的そうで怖い顔していたし。