近年のステイサム作品について - 『ハミングバード』と『バトルフロント』の二つの俯瞰 |
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2014年 08月 15日
ジェイソンステイサムといえばヨーロッパコープ、ヨーロッパコープといえばジェイソンステイサムという間柄でありながら、実をいえばヨーロッパコープの出来のいい秀作にはでていないのがステイサムであったように思える。それ故にアクションスターとしての認知度に比して、映画ファンから信頼を得ることが出来なかったのが、ステイサムというどこか小市民さが残る色男だったのではないだろうか。 しかし、ヨーロッパコープが見いだした、細面のスタイリッシュなアクション・スターという性質は、テイラー・ハックフォード『PARKER/パーカー』とボアズ・イェーキン『SAFE/セイフ』という、二つの一九七〇年代を意識したであろうアメリカの活劇によってより深化され、彼は大きくキャリアを前進させた。 そして、ガイ・リッチーがデビューから見いだしていた、強面の裏に市民的な弱さと愛嬌を滲ませた、ヒーローに成りきれない市井の人としての側面を、文芸映画顔負けの鮮やかな照明や演出の細やかさによって描き出したのが、近年の主演作であるスティーヴン・ナイト『ハミングバード』とゲイリー・フレダー『バトルフロント』なのだ。ここに至って、ジェイソンステイサムは、ハリウッド随一の活劇俳優として開花しつつある。そう確信させるだけの力強さと深みがこの二作品にはあるように思える。 イギリス産ノワールの系譜ースティーブン・ナイト『ハミングバード』 ニコラス・ウィンディング・レフン『ドライヴ』を彷彿とさせる印象深い、人工的な照明が示された後、まるで『オンリーゴッド』と呼応するような物語が展開される。そこから北野武やジョニー・トーが好んで使った青の照明が続き「ノワール」と叫びたくなる黒の照明へと至る。まるで活劇映画の時間を逆行していくような照明の中で、絶対的な神としての監視カメラの俯瞰によって示される、自分らが個人という世界にとって歯車の一つでしかないことへの抵抗を描いた『ハミングバード』は、イギリス映画の陰翳と情感の篭もったアクション映画の系譜を新たに刷新した傑作だった。 過去に傷を背負った男女のラブストーリーを軸にし、社会的な背景をあくまで後景として匂わすに留め、そこで交わされる情感のやりとりをこの映画は真っ当に演出していく。そして、そこで見出されていったのが、ステイサムのクローズアップに耐えうる演技力だったのではないか。 車内で修道女が自身の過去の傷と罪を告白する際の、シンプルな照明と切り返しによって映された、その顔が示す複雑な絡まった情感や、ラスト、まるでマリアに懺悔するようにシスターに過去を告白する際の、今まで鉄面皮をかぶった男の繊細な内面をさらけだした表情などは、ヨーロッパコープの映画ではついぞ描けなかったステイサムの人間的な脆さを引き出していた。 シルベスタ・スタローンが市井の人々への眼差しと愛を表現しつつも、本人はあくまでアクション・ヒーローという、到底我々には真似しえない虚像になりきるために命や人生すべてを投げ出すような怪物である。(注1)そして、それは近年のアーノルド・シュワルツネッガーとの和解と共演が端的に示している訳だが、ステイサムはそういった機械的なヒーローよりも、どこか人間味と愛嬌を持った人物として、描かれた方が魅力的に見える俳優だった。職人的に統合性の取れた物語を語るロジャー・ドナルドソン『パンクジョブ』の、父として振る舞い、家族を必死に守ろうとするが、それでも危機を招いてしまう姿が記憶に新しい。(注2)彼はブルース・ウィリスやマーク・ウォールバーグが持っていた親しみや弱さをそのセクシーで洗練されたヒーロー像の中に隠しているという点が魅力的なのだ。つまるところそれは、アクションスターに成りきれない弱さこそが魅力であると言い換えることが出来るかもしれない。ステイサムは、ジェット・リーやジャン・クロード・ヴァンダム、そしてヴァンダムの後継者と目されアクション映画ファンから注目されているスコット・アドキンスのように、1カットの中で自身の動作すべてを見せられるだけの身体性を持ち得ていないのだ。(注3) アメリカ映画の美徳 ゲイリー・フレダー『バトルフロント』 『バトルフロント』では、そのような彼の魅力が、不完全な、娘を危険に巻き込んでしまう父、という役柄に十二分に生かされている。インターポールだったステイサムは、仕事の失敗と妻の死から、一人娘と妻が夢見ていた田舎に移り住むことになる。そこでの娘が起こした子供同士の諍いから、自身の過去が地元のギャングにばれ、闘争へと巻き込まれることになる。 アクション映画の空間を描くことを、細かいカット割によって放棄している、というアクション映画として致命的な欠点がある。しかしながら、その欠点を補ってあまりある美徳とアメリカ映画の力強さが画面に満ちている。前半の父と娘の交流を印象的な陽光によって捉えつつ、ギャングや暴力の世界を印象的な青がかった黒で表現する鮮明な照明が目を奪い、(注4)市井の人々の迷いや弱さ、寄る辺なさを、説明台詞ではなく端的な動作で掬い上げようとする簡潔で古風なスタローンの脚本が心をうつのである。 ステイサムは、強い父親を演じようとしつつも、その結果娘を危機に陥らせてしまう男を演じており、その利発な娘を救おうとする姿は、例えばピエール・モレル『96時間』のリーアム・ニーソンとは趣を異にしており、それはラストの展開の違いに現れている。(注5) その周りの人々や敵役さえもまた、弱さを抱えた市井の人々として描かれる。妹を気遣いながらそれを堕落させ傷つけるチンピラ、強い父として家族を支えられない弱い男、チンピラの悪事を知りつつも黙って見過ごすことでやりすごしてきた保安官・・・。どの人物と、どうしようもなさと弱さを抱えて、はからずとも傷つけられ、人を傷つけてしまう存在として描くスタローンの脚本は、『ロッキー』シリーズで見せた市井の人々への細やかな眼差しに満ちている。 特に、ステイサムの娘に喧嘩をふっかけた子供が、自身の家庭で母のどなり声に震えている際のクローズアップと空間設計(注6)のすばらしさと、保安官がチンピラに注がれた酒を道路に捨てるロングショットの端的さに僕は心を奪われたのだが、市井の人々を描くためにスタローンはあくまでも小さな田舎の諍いのレベルに物語を留め、登場人物の多くの未来に対する救いを予感させる展開になっている。クライマックスでの、ウィノナ・ライダー演じる娼婦の変節や劇中二回目の爆発がある人物によってもたらされたことの含みなど、この映画には情感と優しさに溢れている。 反復されるトラウマ、切り返し、俯瞰ショット そういった情感を引き連れて、映画はラスト、橋という境界線の上で、過去の事件のトラウマとその反復という『ハミングバード』同様の主題を展開していくことになる。その中での、娘とステイサムとの切り返しとクローズアップは、『ハミングバード』の車内での男女のそれに一歩の引けを取らない、複雑さとエモーションを湛えていている。 そして、その結末の手触りの違いと『ハミングバード』のそれとは大きく意味が違う俯瞰視点でのラストショットを観た自分は、これこそがアメリカ映画なんだという妙な安心と感動とに包まれていたのだった。 ヨーロッパコープのイメージで敬遠している人も騙されたと思って是非劇場で観て欲しい。 (注1)彼のステロイドのエピソードは明らかに常人に真似できることではない。そして、その怪物性が最も生かされたのが、『ランボー4 最後の戦場』だろう。 (注2)余談だが、ロジャー・ドナルドソン『ハングリーラビット』を観て、主演が違うとこうも印象が違うのか、と思った。物語を逸脱する時にその魅力を発揮するニコラス・ケイジのおもしろさが、堅実なドナルドソンの演出の中だと殺されてしまっている。 (注3)活劇の呼吸を心得つつ、ステイサムの身体性の限界まで描きだしたのがボアズ・イェーキン『SAFE』であると私は見ている。それを考えると、何故『グランドイリュージョン』で彼が監督しなかったのか、と思ってしまうという。 (注4)特に、それらが交差するのでは、と思わせる誕生日のクロスカッティングは、大げさにいえばクリント・イーストウッド『ペイルライダー』のそれが頭によぎった。ちなみにカメラマンは『ブレイド』やジョー・ダンテ『ザ・ホール』の人である。(自慢げ) (注5)これも余談だが、『96時間』や『コロンビアーナ』ヨーロッパコープで印象の残っている作品のほとんどは、『ベストキッド』の脚本家であるロバート・マーク・ケイメンのクレジットがあり、監督ではなく彼がアクションの呼吸やエモーションを心得ているが故にヨーロッパコープの作品がああなっているのではないかと思われる。 (注6)ステイサムと娘の距離感の描き方など、アクション以外での空間の描き方は割と良い。なんでアクションだけあんな撮り方なのかは謎である。
by unuboreda
| 2014-08-15 01:20
| 映画 な・は行
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