まるで鋭利な刃物のような ― 『寄生獣』 |
まるで鋭利な刃物のような ― 『寄生獣』
先に書くが、『三丁目の夕日』には全くのれなかった山崎貴だが、『永遠の0』に関してはよくぞこれを撮ったと唸る作品だった。アメリカ人の独白で主人公の行為を認めるという場面で終わる原作は、『硫黄島の手紙』の米国人のオリエンタリズムをわざわざ内面化した愚にもつかない代物である訳だが、それをラストを主人公の妄想であるかのように撮ることで、山崎貴は原作への批評をなしえていたのである。祖父と妻、そして語られる対象との三角関係のいびつさが、そこでは露呈していた。それはまるで、検閲を免れて映画を撮る統制下の人間が撮ったようにさえ見えた。
その中で、特に目についたのが空間の演出の緻密さだったのだが、『寄生獣』もまたそのような空間の映画である。中華料理店で最初のアクションシークエンスを終えた後、ミギーが放つ言葉が両者の断絶を示すショットなんて良いし、深津絵里と他の寄生獣との撮り方の違いも素晴らしい。(例えば、三人の寄生獣が笑顔について語るシーンで三者の差異を縦線で表現しているのだが、東出昌大のクローズアップを映す二ショットの違いに注目して欲しい。)アクションが経るにつけ、主人公である染谷将太が身体的に主体性を持ちはじめ、それ故寄生獣に近づいていくことを示す様など、物語とアクションが密接にリンクしているのも唸らせる。そしてそのアクションも、例えば『ルパン三世』の前半のようなふざけたカット割りもなく、映像技術や原作の制約がある中で非常に端正である。
主人公の成長と喪失を描いた一本の映画として成立しているし、何より役者達にベタながらちゃんとした役割を与えて、それにちゃんとした照明を当てているのが良い。少なくとも『ガッチャマン』などと比較するのも馬鹿馬鹿しいほど隙のない作品だと思う。特に、スーパーのシークエンスでのヴォイスオーヴァーのちゃんとした使い方なんて、メジャーの日本映画でどれだけの人が出来るだろうか。
勿論前後編の物足りなさはあるし、阿部サダヲは若干オーバーアクトではある。原作と比較する人もいるだろう。ただ、膨大な漫画を110分にも満たない上演時間で収めた洗練さを私は評価したい。カーペンターが持っていた慎ましさのような、そんな洗練さを。(注)
しかし、最近の山崎貴を馬鹿にしていると、数年後に笑われるのは自分だと気づいている批評家がどれだけいることやら・・・。
(注)あれだけグロテクスなシーンがありながら、他の日本のスプラッターの悪ふざけや悪趣味から全く無縁なのがいいんですよ。実をいうと、日本のスプラッターアクションだとこういう手触りの映画ってありそうでなかった。
まさしく岩明均マンガの良さはその品の良さにあると思うので、そういう意味でも忠実な映像化.
ミギーのキャラの軽さ、というか阿部サダヲ臭が、
どんなに過激な場面が続いても観客の集中力を引き留める良い求心力になっていたなと.
ただまだこれ1作じゃ『バラッド』への怒りは収まらないのですが.
是非完結編も同じテンションで突き抜けてほしいです.
最初半信半疑だったから書かなかったのですが、オープニング(とラストのスクリーン)はフライシャーの『ソイレント・グリーン』の引用だと考えて物凄くわくわくしたんですよ。荒廃した世界を示すためのグロテスクを、ここまで無機質に表現できた日本映画は中々ないんじゃないかというか。
山崎貴、これほどフィルモグラフィーが不可思議な人もいないですよね。『ジュブナイル』~『リターナー』/『ALWAYS 三丁目の夕日』~『SPACE BATTLESHIP ヤマト』/『永遠の0』~『寄生獣』の三期位で大別できる気がしますが、真ん中が何だったんだという。プロデューサーの問題、なんですかねぇこれも・・・。(『STAND BY ME ドラえもん』は未見ですが中期っぽいですしね・・・。)
でも次回作は俄然期待しています(>_<)