ジャパニメーションの非活劇傾向について
スタジオジブリをのぞけば、ジャパニメーションにおける活劇志向は、少年マンガのフォームという要請を抜きにして市場価値がなく、それ故に活劇志向の作品は捨象されゆくものであった、と言わざるをえないのが現状であろう。マッドハウスの片翼と呼ぶべき川尻善昭も、ゲリラ的にテレビアニメーションの中で突如作家性を炸裂させる一方、自身の企画についてはパイロットフィルムを作るに留まっている現状にあり、他方ではアクション演出において比類なきケレン味を放っていた村瀬修功『GANGSTA』のマングローブが潰れるという事態が、その傾向を裏付けているように思える。(注1)
テレコムフィルムの『ルパン三世』シリーズやufotableの志向など、別にそれが死に絶えた系譜という訳ではない。ないのだが、岩井俊二から新海誠に連なるだろうドラマ群(異論はあるだろうが、長井龍雪『心が叫びたがっているんだ』と中村章子『同級生』は、風景描写と心情描写において、これらの発展形として共通項があるように自分には見える)が国内的に興行的成功を収めているのに対し、そういったものへの評価がなされないのが現況の日本のアニメーションなのではないだろうか。一部の視聴者の空間と間に対する無頓着さにもそれは表れているように自分には見える。例えば、演出家としてずぶの素人である草川啓造が手がけた『鑑これ』が無惨な出来であるのが、脚本家のせいにされるという事態などに。(注2)
しかしながら、その系譜、マッドハウス的ケレン味と活劇志向が、海を越えてアメリカで受け継がれていたとしたら?そして、それがハリウッド映画さえも刷新しつつあるという事態が、今、海の向こうで起こっていたとしたら?ここで私が紹介したいのは、伝統的なスタジオであるワーナーが産み出した希代の活劇アニメーター、ジェイ・オリヴァの台頭と躍進なのである。
カートゥーンとジャパニメーションという二項対立
ジェイ・オリヴァはワーナーでDCユニバース(スーパーマンとかバットマンの会社)のOVAを担当しているアニメーターである。ジャスティスリーグやバットマンのアニメで傑作を多数輩出しており、日本では後者がビデオリリースされ、一部のアメコミファンの中で話題になっている。それはまさしくカートゥーンとジャパニメーションの結合と呼ぶべき作品群であり、まごうことなき活劇だ。
彼の作品に触れる前に、そもそも、カートゥーンとは何なのかということから話したい。アメリカの子供向けアニメの代名詞として、謂わば幼稚なものとされがちなものだが、そこにはある設計思想があるように自分には見える。それは作画のレベルを落とすことによって、アクションや運動に力点を置く、というものだ。(日本では『クレヨンしんちゃん』の劇場版がそれを担っているといえる。)対して、日本のジャパニメーションは、作画レベルを上げることによって、実写のそれに近づこうとしていった。結果として、テレビアニメーションは一般化し、作品として価値をある程度は認められることになった。が、その代償として、低予算のアニメにおいて運動やアニメ本来の魅力が捨象されることになってしまったのではないか。そのような日本のアニメーションは、アメリカのアニメ本来の躍動感や運動を描くカートゥーンから学ぶべき要素が多いように、自分には思えてならない。
そもそも、バットマンで一番著名なシリーズであるブルース・ティムの『バットマン』からして、アニメーションと実写映画の融合の模索を、日本とは別の角度から行ってきたシリーズだった。印象的な止め絵とキャラクターの雰囲気でリアリティを担保しつつ、キャラクターの線を細く簡略化することでアニメーション本来の躍動感を保持していたのだ。そこから派生した『バットマン・ザ・フューチャー』がカートゥーンとしてのバットマンを体現していたといえる。
老いたバッドマンを師とした若者の話である『バットマン・ザ・フューチャー』は、近未来という設定故かどこか子供向けアニメを踏襲したデザインをしているのが特徴的だ。だが、そのデザインだからこそといえる、躍動的なアニメートとアクションには眼を見張るものがある。簡素なキャラクターであるが故にハリウッド大作にひけを取らないスケールのアクションが展開されたそれは、カートゥーンが映画を志向した流れの中で生まれた、一つの結実だったといえよう。
引用1 - 『バットマン・ザ・フューチャー』よりVSインク
(確か触手かスライムのような流動的な身体がジャパニメーションの特徴だと言っていた論文があった気がするが、そのような身体がカートゥーンによってここまで動くのは感動的でさえある。ショット構成も、今見直しても素晴らしい…。)
その系譜の最先端として、ジェイ・オリヴァの作品を連ねることができる。デジタル化の恩恵を受けて、クオリティが向上した結果、ハリウッド映画の「原作」となりえているのが、ジェイ・オリヴァの作品群なのだ。
ジェイ・オリヴァの台頭
日本においてリリースされているのはバットマン関連の作品のみであり、私が視聴したのもそれらである。(注3)以下、紹介していこうと思う。
『バットマン:ダークナイト・リターンズ』は、バットマンとスーパーマンの戦いをクライマックスに持っていき、正義とは何か、を描いた、所謂ヴィジランテ物である。前後編あり、前半でミュータントの頭領との戦いを描き、後半でのジョーカーとの戦いを経て、スーパーマンとの直接対決に至るという構成になっている。いくつかの名作コミックを組み合わせた構成になっているが、注目すべきは圧倒的な作画によるアクション演出だろう。
前編のミュータントの頭領との戦いでの肉弾アクションにはじまり、遊園地を舞台にしたジョーカーとの戦い、スーパーマンとパワードスーツを着たバットマンの死闘など、多彩なアクションがワンカットワンカット丁寧にアニメートされている。コミックの名作をかけあわせた内容の重厚さもさることながら、アクションシークエンスの完成度に眼を見張るものがあり、それこそハリウッドの傑作を観たような満足感がそこにはあった。
そして、そのような活劇映画への志向は、次作の『バットマン:アサルト・オン・アーカム』において爆発することになる。
ハーレクインとデッドショットを中心としたならず者部隊が、ジョーカーやリドラーが収容されたアーカム精神病院に潜入して任務を遂行しようとする。が、そこにバットマンが現れ、各々の思惑が入り乱れる大騒動に発展する。ストーリーはジョー・カーナハンの作品を、アダルトなフォルムのキャラクターはマッドハウスの全盛期を彷彿とさせるが、アクションシークエンスの完成度と野心においては、それらを刷新さえするものに仕上がっている。オープニングシークエンスのワンカットで縦横無尽に動き回るバットマンの活躍など眼を見張るばかりだが、劇中で手を抜いたシーンが一度も出てこない。ハーレクインとデッドショット、ジョーカーとの三角関係なども丁寧に描かれており、一流の娯楽作品になっている今作品は、それは謂わば『バットマン・ザ・フューチャー』から連なるカートゥーンの活劇性と川尻善昭のケレン味の幸福な融合というべき代物だろう。そして、それはアニメの領域だけでなく実写映画にも大きな影響を及ぼすことになる。
引用2 『バットマン:アサルト・オン・アーカム』より 感動的なオープニングシークエンスのアクション
(ザック・スナイダーに爪の垢を煎じて飲ませたいと思っていたら・・・)
終わりに すべての実写はアニメになる
今年の映画スケジュールにおいて、DCは今月末にザック・スナイダー『バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生』を公開され、その後にはアメリカ映画を代表する監督になりつつあるデヴィッド・エアー『スーサイドスクワッド』が控えている。観れば分かる通り、ジェイ・オリヴァのフィルモグラフィーをなぞるように、DCの実写映画化が企画されており、それ故にジェイ・オリヴァがハリウッド映画の「原作」となっているのだ。(さらにいえば、この観点からいけば、『梟の法廷』をべン・アフレックが映画化することになりそうなんだ!)さらに彼の活躍はそれだけに留まらない。マーベルの多角的な人材登用は、彼をストーリーボードアーティストとして登用するに至ったのだ。その結果が、ペイトン・リード『アントマン』とティム・ミラー『デッドプール』の興行的成功に繋がっていると考えるのは、穿ちすぎだろうか。
DCとマーヴェルの映画の双方に多大な影響を与えた作家、ジェイ・オリヴァ。彼がストーリーボードを手がけた作品(『バットマンvsスーパーマン』、『デッドプール』)や原作を手掛けたと呼ぶべき作品が日本でも公開されるが、その前に是非彼のアニメーションの傑作群を観てほしい。
一方でそれは残念ながら、ウォシャウスキー兄弟『マトリックス』と同様の事態が起こってしまっていることの現れであるともいえる。思うに、ジャパニメーションはカートゥーンから学ぶべき部分が多いのではないだろうか、と海外の3DCGアニメーションに比してあまりに出来が悪い『亜人』を観ながら思ったのでした。
PS・最新作でありいろんなところで配信されている『バットマン バッドブラット』は最初の二シークエンス位、空間演出が雑で、「あれ?」となったことはここだけの話。けどまぁ、例えばバットウーマンとその父親のシークエンスのやり取りなどに、その非凡さは見て取れるとは思う。後、『バットマン バッドブラット』のクレジットを観ると日本のアニメーターが多数参加しているのだが、IMDBに記載がないことにグローバリゼーションの恐ろしさを感じた今日このごろ。どこのスタジオなのだろうか。誰か観た人は教えて欲しい…。
(注1)これは『ルパン三世』もそうなのだが、1~5話位で全力を出したアニメが後半力尽きたかのように作画が衰える現象を見ると、テレビアニメって必要なのか?劇場版でよくないか?と思ってしまうことがある。
(注2)ファンが五月蠅いから誰も言ってないだけだと思うが、やさぐれているのでここに書いておく。『魔法少女リリカルなのは The MOVIE 2nd A's』のアニメーターの働きを溝に捨てるような空間演出の稚雑さと緩急のなさを見て何とも思わない人間は、アニメを一旦見るのをやめてちゃんと名作を観た方がいい。この空間への無頓着さ、運動への嗅覚のなさが、3DCGにも関わらずその特性を全く生かせていない棒立ち無空間アニメ『亜人』のどうしようもなさにも繋がっているのかと思うと、頭が痛い。
(注3)ネットフリックスが、ジャスティスリーグの二篇(『フラッシュバックパラドックス』と『ウォー』)を配信してくれないかなぁ…。