ジブリアニメの動的なスペクタクルと政治劇のアップデートであった村田和也『鋼の錬金術師 嘆きの丘(ミロス)の聖なる星』以来最も優れたプログラムピクチャーの一本であり、安藤真裕『ストレンヂア 無皇刃譚』以来の活劇アニメーションの傑作である。ファンではないから観ないという人が多いと、日本のアニメの一部が滅ぶと思うので、ぜひ劇場に駆けつけてほしい。『鋼の錬金術師 嘆きの丘(ミロス)の聖なる星』同様、それはテレビアニメの延長線であるというよりは、過去の名作からスタイルを踏襲したまごうことなき「映画」なのだから。
中世ゴシックホラーの要素と美麗な背景アート、古典的な男女関係を軸にして展開される追跡劇、ドラマツルギーでの異様なまでの落下に対する執着、などなど『牙狼〈GARO〉-DIVINE FLAME-』はセルアニメ最後の花火だった川尻善昭『バンパイアハンターD』のスタイルが色濃く継承されている。冒頭の本編内容からかけ離れたエログロのシークエンスは、川尻善昭を踏襲するという宣誓のようなものだろう。
だが、そのスタイルを踏襲しつつ劇中で展開されるのが、3D技術と2Dセルアニメの結合ともいうべき縦横無尽なアクションとスペクタクルであるという点にこの映画の逆説的な魅力がある。
例えば、最初のアクションシークエンス。2DCGの化け物と3DCGモデルのキャラクターが対決する訳だが、前者だけではプログラムピクチャーとしては多大な労力がかかりすぎる一方、後者のみでは作画が持つアニメ―ションの動性の要である身体性が全く出てこない。その両者の折衷としてこの舞踏があり、それは両者の弱点を補っている。縦の動きが凄まじいアニメなのだが、その点でもセルの書き込みによる画面全体を使った奥行を感じさせる運動と、『進撃の巨人』や『ドラゴンボール 神と神』辺りからのトレンドである3Dモデリングの背景と動的なカメラワークによる奥行の演出が組み合わされている。ここまで、3DCGとセルが対比的にではなく、結合する形で使われたアニメが果たしてあったのだろうか。(そういった意識は、3Dモデルの疾走の停滞性をセルの波の表象によって補うという細かい部分まで見て取れる。)それによってセルアニメのみでは成し得なかった(或は持続しなかった)動性が全編に滾っているのは、驚愕の一言である。
ほとんど日本アニメのアクション演出の集大成であり見本市のようなものが展開される訳だが、これがテレビアニメの劇場版であることに、自分はプログラムピクチャーを希求するが故に作品が世界に認知されていった往年のマッドハウスの輝きを見てしまった。冗談抜きに『獣兵衛忍風帖』や『ストレンヂア』同様カルト化する出来だと思うので、劇場で観て堪能してほしい。日本のアニメの底力を観た。