昨日 |
バベル
「登場人物全員が短絡的で自滅していくとこがB級のスプラッターみたいだった」
・・・ええ、観る前から薄々「嫌いそうな映画だなぁ」って思っていましたよ。だって俺『ナイロビの蜂』なんかもやっぱり駄目だったし。でもここまで拒絶反応を覚える映画とも思わなかった。
メキシコでの鶏を殺すシーンとバスの中で撃たれた女性を映すシーンとを、まるで食事のために鶏を殺すことと観光客を銃で撃ち落とすこととが同次元であるかのようにカットを繋ぐような映画に、差別意識がないなんて言われても信じられる訳がない。菊池凛子の役柄にしてもそうだが、モロッコの子供を「近親相姦+窃視症」というダブルコンボでド変態にしている必要性がどこにあるのか?ただ外人を変態に見せたいだけじゃないのか。
「言語の違いから生まれるディスコミュニケーション」を主題であるとするなら、それを解決するための試みである「対話」が描かれていなければいけないはずだと思う。確かにアメリカ人夫婦の間ではそれが行われているかもしれない。でも他の国ではどうなのか。
この映画がダメだと思ったのは、日本のラスト付近のシーンで、菊池凛子の役にはゆっくり口をみせないと話している内容が伝わらないという設定があったはずなのに、もっとも大事なシーンで刑事はそんなことをお構いなしに早口で話してしまうことだ。結局「言語間のディスコミュニケーション」という前提を信じ切っているというか、それをどうにかしよう、という想いがこの映画からは抜け落ちてしまっているように思える。そんな想いが存在しない問題提起に、一体何の意味があるのだろう。
この脚本は人に何かを考えさせるためにはあまりに稚雑だと思うし、カメラはドキュメンタリー風であることに頼る以外はあまりに無策であるように自分には見えた。