テレビやマスコミは一度 |
スイミング・プール
この映画は、イギリス人女性である作家が、フランスという地でイギリスの父権(彼女を抑圧しコントロールしている男性の編集者)から逃れ、解放される過程を描いた映画だ。
作中たびたび出てくる「十字架」はイギリス的なものとしての父権、そしてそれらを代表している編集者の象徴であり、彼女はそれを外してからでないと自分の小説を書くことができない。鏡の中に映る「十字架」を外すことができないのは、鏡という枠の中の世界が現実の世界であり、彼女の力で完全にそれを取り除くことができないから。そして鏡の中の「十字架」を彼女が外せないことが、画面に映っている世界が彼女の力が及ぶ世界=彼女の小説内の世界であることを示している。
・・・と、この映画は画面に記号がいくつか配置されていて、それが物語全体の中でちゃんと意味が繋がるようになっている。その点で統合性が取れている、とこの映画を褒めることができるかもしれない。
・・・でも、いくら記号を巧く使って物語を流暢に語ることができたところで、語る内容がイギリスに対するフランスの偏見を助長するだけの話(フランスとイギリスの二項対立で終わってしまう話)では、せっかくの技法が豊かさを生みだすことができないのではないか。美しい画が取れるだけの技量を持っているのだし、そういったステレオタイプから卒業して欲しいと思うのだけど・・・『エンジェル』についてのおすぎとのインタビューを偶然ケーブルテレビで観た時、またそんなこと(イギリス人はどうこう)を言っていたんだよなぁ・・・。そのへんがあって、オゾンを熱心には追いかける気にならない。