俗悪なものがこの世に存在するから人間が俗悪になるのではなく、人間に俗悪な側面があるからこそ、俗悪なものがこの世に存在する。そしてそれは絶対になくなりはしない。そのへんを勘違いしている人間はどうかしていると思う。そして、それらを根絶できると考えている人間は、自分の中の俗悪な部分が見えていないんじゃないだろうか。
最近のエロゲーの規制の話を聞いていると、小人プロレスを連想する。自らの体格を生かして、プロとして観客を沸かせていた小さな巨人達は、人権擁護団体の「人権」や「差別」といったシュプレヒコールによって、その活躍の場を奪われてしまった。今度の規制で、同じように絵を描く人や話を作る人、声を吹き込む人の仕事が奪われていくのかと思うと、ゾッとする。
性的なものを作る世界にしたって、そこには多くの人々が携わっているのだから、そこには普通の人にはわからないであろうある種の技術やプロとしての叙事があるだろうし、人を楽しませたいって感情だってあるだろうし、表現としての何かだってあるはずなんだと思う。それらを全部「俗悪」の名の下に叩き潰すことはあまりに乱暴すぎるのじゃないか。彼らはそこに携わっている人がいることを想像できないんだろうな・・・。
小人プロレスについて
(http://www.cyzo.com/2009/04/post_1897.html)
なんか色々関係ありそうな話。(18才未満禁止だお!真面目な文章だけ抜粋したから別に見てもいいと思うけど。)
(http://www.hx.sakura.ne.jp/~die-sque/dpc/text/18.htm)
(http://www.hx.sakura.ne.jp/~die-sque/dpc/text/rape.htm)
(http://www.hx.sakura.ne.jp/~die-sque/dpc/text/fantasy.htm)
自分の性的なものへの認識の底流を作ってくれた文章。自分が中高生位に読んだ(をい!)はずなのだが、今でも全然色褪せてないなぁ。
最悪の事態は、こういったものが規制されることによって、実際の性犯罪数が増加すること。まぁ因果関係なんてないんだろうけどね。