終りじゃねぇ、はじまりだー『座頭市 THE LAST』 |
『座頭市 THE LAST』
死屍累々という言葉が相応しい近年の日本映画の「時代劇」の中ではかなり真っ当な出来だったことは嬉しい驚きだったし、阪本順治監督の作品の中でも『カメレオン』や『新・仁義なき戦い』などよりずっと良い。少なくとも、配役一人のためだけにここまで酷評されるべき代物ではない。
タイトル・インまでのシークエンスで強調された市の手つきや指先、鈴の音といった要素1つ1つが映画全体の中で意味あるものになっている。
特に市の手つきを物語中常に意識させることによって、盲人としてはガタイが良すぎる香取信吾という役者の違和感を緩和し、かつ失ってしまった拠り所を手さぐりで探す市というキャラクターの象徴的に表しているのは素晴らしいの一言に尽きる。(冒頭、妻の手と重なり合っていたはずの手が、結局仕込み杖に収まってしまう哀しさ)科白やモノローグなど「言葉」で説明してばかりの、画面で何も表現していない邦画ばっか観てきた自分としては、少し感激してしまった。
アクションシーンにおいても冒頭のズームイン・アウトを巧妙に使ったショットや、鍔の音や位置関係を引っ掛けに使った豊原功補との斬り合いの場面など、緩急や創意工夫を交えた演出が為されている。『カメレオン』ではただ長く画面を回していただけだったのにね。天道家における長回しや、柳司の家での柱の使い方など、画面の分け方や構成も緻密に作られていて、「阪本監督今まで苦手とか言っててごめんなさい。「魂萌え」は傑作だったのを忘れてました」とか思ったり。音に関する演出も素晴らしかったしねぇ。(欲を言えばもうちょっと高さを演出に取り入れて欲しかったかな。その辺は直後に観たジョニー・トーのが巧く出来ていた気がする。)
二〇〇〇年以降の時代劇を拒絶するかのように、派手なエフェクトや漫画的表現を徹底的に排除した作りになっていたように見えるが、多分それは正解だったのではないか。思うに、あまりに漫画的表現に引きづられすぎていった結果として、今までの惨状があったのではないか。(その極地が『カムイ外伝』だと自分は認識している。)失われたプログラムピクチャーの系譜、その一端がやっと日本の実写映画に帰ってきたと思うと胸が躍る。
元々量産されてきた代物なんだ。過去を神聖化なんかせずに、もっとガンガンジャニーズ主演でもなんでもいいからこういった映画を作っていけばいいと思う。
…まぁ、不満がないわけでもなくて、よくよく考えたらあのラストはおかしいような気はしてる。…いいじゃん、復讐したって。