『恐怖』レビューの後日談 |
絶望の そのさき ちょっと見せちゃいます
ガチでディープなトークイベント!こんな映画人なかなか見れない!?映画『七つまでは神のうち』presents ~絶望の そのさき ちょっと見せちゃいます~ レポート
当日イベントにいたわけではないので、細かいことについてはわからないのですが、当日イベントに行った人のコメントやイベントの様子を伝えるニュース記事などから、大体のことを把握しつつ自分の考えたことを書いていきたいと思います。何か間違えがあれば伝えて頂けるとありがたい、です。(ちなみに『七つまでは神のうち』は今日観に行く予定。『インシディアス』や『ピラニア3D』など、今月はホラーばっか観ることになりそう。)
当日、観る側のリテラシーについての問題が、映画製作者側から言われたそうです。大枠として自分のレビューの「『恐怖』がプロットによる段取りを踏む演出が出来ていない」という部分を引用して、本当に「出来てない」のかどうか、『恐怖』という映画がただ既存のプロットの枠組みから離れた作品であるだけなのではないか、それを既存の脚本術から離れているからといって「出来てない」といってしまっていいのかどうか、という疑問からはじまり、現在の観客が「分からない」ことを「つまらない」と直結させてしまう傾向が強い、という風に繋げて話していたそうです。
この話と、Jホラーの現状を考えた時に、観客の問題、又は批評の問題というものについての製作者の苦悩と、製作者の意識に対する違和感とを双方に感じてしまった。
欧州のホラーが、少なくとも自分が目に触れる氷山の一角の作品群がある程度グロテスクな表現を追求する一方で、そこに文学的・思想的な何かを見い出そうとする作品(『マーターズ』、『変態村』)が生まれており、それらが評価されているように見えるのに対して、日本のホラーは怖い/怖くないという文法で語られることが多かった。そしてそれは、Jホラーが若手映画監督の登竜門であるにも関わらず芸術作品として認められてこなかった、という証左だったような気がします。
これは、Jホラーの批評家のほとんどが実製作者だったこととも関係していますが、小中理論をはじめとして恐怖の文法や恐怖の内実を語る言説を製作者が生成すれば生成するほど、観る側の評価軸も怖い/怖くないという枠組みにはめ込まれ、結果としてJホラーというジャンル自体がそこに縛られてしまったのではないかと。事実、多様な解釈・分析が、『リング』シリーズと黒沢清の諸作品、または小中千昭が脚本を書いたカルトアニメ『lain』以外のJホラーでは実製作者以外からのほとんど為されていないというのが実情だと自分は認識しています。
8/20 サタデーナイトラボ「スクリプトドクター・リターンズ!で言われるとこの「ソフトストーリー」としてJホラーの作品が観られないという問題があり、そういった部分で自分の『恐怖』についての言説が取り上げられたのではないだろうか、という推測を立ててみたり。
・・・ただ、そういった現状があることは考慮しつつも、だからこそ観客を映像や演出の力で定型でない物語を飲み込ませる作品や、既存のプロットに乗りつつもそこからこちらの予想を裏切り飛躍する作品、というものを求めている我儘な自分がいます。『恐怖』がフレーム内フレームや光を使って色々やっていることは分かるものの、そういった「分析」が出来る作品であることが必ずしも「いい映画」であるとは限らない訳です。光に関する演出に象徴的だと思いますが、光を恐怖として描くならば、少なくとも『インシディアス』位照明に力を入れるべきであって、例えどのような製作条件があったとしてもそういった部分で比べられてしまうのが商業映画というものなはずです。
『恐怖』の高橋洋のインタビューで、プロデューサーの一瀬氏との対話の中で「この映画はカルトだから分かりづらくてもいい」という言葉を高橋洋氏が使っていましたが、そういった逃げ口上を製作者側に使ってほしくない。もし『恐怖』が『ハロウィン2』のように既存のプロットの枠組みにとらわれていなくとも登場人物の心理や狂気、恐怖を描ききった映画であれば、あのような突き放した書き方はしなかったし、多分ロブ・ゾンビやパスカル・ロジェなどが「カルトだから分かりづらくてもいい」などと自分の映画に対して使わないだろうと思います。
基本的に『恐怖』について書いたことを取り下げるつもりはないのですが、cinemascapeに掲載されているもののが数段出来がよく細かい部分を指摘しており、最後に三宅監督が想起する「分からないことをおもしろい」と感じる観客の代表例として3819695氏のレビューを、自分の云いたいことを言ってくれているレビューとして煽尼采氏のそれを挙げておきたいと思います。
観客は身勝手ですが、それでもそれなりに観たものを受け取って考えています。それは製作者の苦労と比べるのは難しいかもしれませんが、しかし上二つのレビューはただ「分からない」ことを「つまらない」としてしまっている人からは絶対に生まれないものです。
・・・長々と書いてとりとめのない文章になってしまいましたが、これから今回の件を戒めにして全力で映画を観て行こうと思うので、一方で、映画製作者側も全力で映画を作ってくれることを願っています・・・身勝手に。
ポッドキャストまとめて聴いた後だったので鳥肌が立ちました
unnuboredaさんの記事を三宅監督が読んでいたというだけで
僕の中ではめちゃくちゃ大きなトピックスです.
ただ、『恐怖』はひたすらつまんなかったです.
なんだろう、僕みたいに学歴も糞もない、
さしたる参考文献もなく映画見てるだけの人間からすると
特定の文脈を習ったことのある人、
特定のコミュニティの中にいた事のある人にしか伝わらない映画というのが
日本には存在してるのかな~って気がしちゃいます
流石にそれは被害者意識が強過ぎますが、
それでも『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』や『恐怖』や『ぼくんち』を
評論家が絶賛していると、
とりつくしまもない隔たりを感じてしまって寂しいです.
笑ってつっこめるポイントさえ無いし話題にもしづらい分、
ドラマ映画よりタチ悪い存在だなぁと.
『マーターズ』『屋敷女』『変態村』『THEM』なんかは
(まぁ、2度と見たくはありませんがw)
普通に「魅せる」技術は備わっていたようにボンヤリ覚えています
ヒット数少ない割に読んでもらって恐縮な限りです。
一声かけてくれたら『呪怨』についてのプリントとか持ってイベントいったのにー、とか思ったりもしましたが(笑)
『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』は本当に何故評価されているのが分からないです。解釈の余地を残すことと映画を空白にすることとは全然違うと思うのですが・・・。ああいったものを求めた結果として悪夢みたいな『ラッシュ・ライフ』が出来たことを考えれば、やっぱり違うような気がします。まぁでも、イベント中で『口裂け女2』も評価されていたそうなので、三宅監督には別の意図があるのかもしれませんが。
それはおいとくとして、現在のJホラーは『CHATROOM』『七つまでは神のうち』『ラビットホラー3D』と「魅せる」何かを持つ作品が出てきているので、もうちょっとホラーは観ていこうと思っています。そして、目指せシネマハスラー出演ww
『lain』から黒沢清『回路』へと続いてた流れが、311を経てアニメにもどってきたらとんでもないことになってました。