結局押井は人がきらいだから人形に走ったのだろうな |
押井守って日本のクローネンバーグだったのか。
クローネンバーグは認識の曖昧さ、有機物と無機物にたいした差はない、ということを表現するために無機物に内臓など肉体を与えた。
押井守はその逆、人間達をひたすら無機物に近づけてそれを表現した。そしてそれはクローネンバーグのやり方よりももっと社会に対する疑念に満ちた表現だ。
とにかく人間の薄っぺらさ、生気のなさはまさに人形のよう。すべての人の顔は平坦に描かれていて、あの精巧すぎて気味の悪い人形が出ていなくても画面には常に居心地の悪さを覚える。
それをアニメーションの限界で人形と人間の区別を描けてないだけ、という人がいるかもしれない。しかし、ではなぜバトーの飼い犬であるガブリエルはあれだけ生き生きと描かれているのか?決して生を描けないわけじゃない、描かなかったんだよ。
祭りのシーンでだれかれもが仮面を被り顔を見せない、殺人現場でトグサの顔は鏡に映らない・・・。人間の無機物とたいして変わらない、没個性的だということは確信的、そして徹底的に表現されている。
別にストーリーも無意味に多い引用もどうでもいいわ。俺はここまで現実の軽薄さを画面で表現したものを評価します、ある程度は。
しかしこんな映画がアニメで生々しい生を表現しようと努力してきたスタジオジブリで配給されるなんて・・・やっぱ駄目になってしまったのか日本のダリオ・アルジェンド。
・あの引用の嵐、言葉遊びを見ていてなぜかエヴァンゲリオンが思い出された。
・押井守本人を見ていると人は話していることを聞いているわけじゃなく、話しぶりと調子と風貌を見ているんだなぁ、ということがホントによく分かるwってかこの人が学芸大学出ていることにはマジでビビッてたじろいた。
犬、ガブリエルに関しては生命、無垢の存在として描かれてますね
インタビューで犬に関して苦労した話が幾度となく出てきます
あの動きはアニメーター黄瀬さんの傑作でしょうね。
かなり愚痴を言ってるインタビューには笑えます(^^)
引用に関しては押井さんなりの考えがあるようですね
エヴァ、庵野監督を思い起こすということですが実際庵野監督が押井監督に引用について多くの助言をもらっているという事実もあります
個人的にはこういう作品は二度と出てこないでしょうね
押井さん本人もそれを自覚しているしこれだけのスタッフは二度と揃いません。
そういう意味でアニメーションとしての頂点だと私は思っています。
犬>>数作みたところ、押井映画では犬とジャンクフードが生きていることの証明のように描かれていると感じているのですけど、イノセンスの犬の描写はそのもっともたるものですよねぇ。
確かにテーマ的に必要だとはいえ、あれを描かされる側は愚痴のひとつも言いたくなりますねw
引用>>実際、エヴァの科白に関わっていたのですか、知らなかった。
アニメーションとしての頂点>>確かにあれだけのイメージと技術を併せ持つアニメーションはそうそう出てきてくれないだろうと思います。
ただ、それだけに押井氏の意図が一番読みにくい映画なんですよねぇ。ネットゲームの話でオズの魔法使をやってしまうアヴァロンやKILLERSでの短編などはやりたいことがはっきり感じ取れるのですけど、イノセンスは映像に目がいってしまってスパっと分かりづらい。
それだけ大きな作品ということなのか、ただ映画のプロットが少し混線していてのことなのか、いまだに判断がついてません。