夜を超える夢 - ジャウマ・コレット=セラ『フライトゲーム』 |
カレンダー
カテゴリ
以前の記事
2024年 01月 2023年 12月 2023年 10月 2023年 04月 2022年 05月 2021年 12月 2021年 07月 2021年 05月 2021年 04月 2021年 02月 2021年 01月 2020年 12月 2020年 11月 2020年 10月 2020年 09月 2020年 05月 2020年 03月 2020年 02月 2020年 01月 2019年 11月 2019年 08月 2019年 05月 2018年 12月 2018年 08月 2018年 04月 2018年 02月 2017年 12月 2017年 09月 2017年 07月 2017年 03月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 08月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 02月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 04月 2009年 12月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2005年 04月 2005年 03月 2005年 02月 2005年 01月 2004年 12月 お気に入りブログ
最新のコメント
リンク
最新のトラックバック
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2014年 09月 13日
・映画観るのをしばらくやめていたのだけど、結局ジャウマ・コレット=セラ『フライトゲーム』と白石晃士『ある優しき殺人者の記録』だけは我慢できずに観てしまった。二作品とも同種のロマンティズムに溢れた映画で、どちらも震えるほど素晴らしかった。 夜を超える夢 - ジャウマ・コレット=セラ『フライトゲーム』 この100分程度しかない、馬鹿馬鹿しいまでにあまりにもジャンル映画である『フライトゲーム』が何故これほど感動的なのか? それは、ジョー・カーナハン『THEGRAY/凍える太陽』を反復するように酒に溺れ、しおれた顔をして飛行機で居心地悪そうに縮こまっているニーソンの憂いを観ていると、トニー・スコットの死がちらついて仕方がなかったからであり、また物語の展開上、どうしたってディビット・R・エリス『スネークフライト』の記憶が想起されるからだと、観ている間とめどなく溢れる興奮と感動の中でぼんやり考えていた。 鬼籍に入った監督達の現代アメリカの活劇映画の血脈が、ほどばしりとなって画面の至るところに刻印されているのである。『フライトゲーム』、いや『NON STOP』とは『アンストッパブル』をはじめとしたトニー・スコットの、活劇とその死を含めた憂いまでをも引き受けるという、ジャウマ・コレット・セラの鮮烈な意志表明に他ならない。(注1) 例えばそれは見る者と画面、の対応にも表れている。冒頭、リーアム・ニーソンが観察者として、様々な乗客を眺めるところからはじまる。事件が起き、携帯電話の主を探す段で、彼は我々と共にモニターの監視者として、その犯人を探し始めることになる。しかしながら、彼が捜査を続けていく内に、彼自身が乗客のカメラで捉えられ、そしてテロリストとしてテレビで放送されることになる。その段にいたり彼は、いつの間にか観られる側、画面の中で規定される側として、自身の過去が暴かれ、罰せられる。しかし、その中で彼は、事件の当事者として足掻いていく中で、保安官の主体性とトラウマを回復させていくのである。 そう、この展開は明らかに『デジャブ』から『THEGRAY/凍える太陽』に連なるものなのだが、明確に市井の人々と接点を持つものであるという点でやはり『アンストッパブル』のその先を見据えているのだ。 「911」の記憶がちりばめられビジネス/エコノミーとで二分された空間は、アメリカという国家の縮図であり、それ故にジョナサン・リーベスマン『実験室KRー13』なども連想させる。だからか、観るものに確かなものなどなく、今までの生活や得たものを失ってしまうかもしれないという不安が、映画の展開のどこかしこにちらつく。その中で明らかにされる犯人の設定はおもしろい。明確に大義を楯にして金のことにしか頭にない富裕層と、大きな物語を信じ、それに裏切られたことを認められずにもう一度その物語を立ち上げようとする市民の対比は、どこかしこにある政治のねじれを的確に表象しているといえる。 そこまで考えが至った時に、中盤のジュリアン・ムーアのいつ死ぬか分からないから今見える景色をみたい、という告白が、自分の中で存外大きな意味を持ち始めたのだ。 「大きな物語の終焉」という言葉を使うのには些か躊躇されるが、「大きな物語」に裏切られた犯人達と、先に挙げたジュリアン・ムーアのスタンスの対比こそが、アメリカが見出した新たな希望なのではないだろうか。人生とは乱気流に巻き込まれ流されるようなものであり、それ故に予想できない。私たちはいつの間にか嵐の中に巻き込まれるように災害やテロに遭遇し、いつ命を落とすか分からない。その中で、「大きな物語」を思い描くのではなく、その場に起こったことに対して最悪を想定し、緊張を解かずに、一瞬一瞬の出来事に反応していく。そこで出会った人々と感情をぶつけあう。それこそが人生なのではないか、と。 ほとんど物語の筋や理屈ではなく、運動やエモーションを重視しながら二転三転していく映画自体が、何が起こるか分からない人生の暗喩にさえ見え、その中で描かれるトラウマの回復に私は感動を禁じ得なかった。そもそも、ジュリアン・ムーアの告白はリーアム・ニーソンに猜疑をかけられた際のもので、その弁明に全くなってない。リーアム・ニーソンの独白を含めて情緒に訴えかけるものであり、ミステリーとしての統合性を映画はここで放棄している。しかし、そのことが映画としての演出の正しさ・丁寧さに傷をつけている訳ではない。 子供にまつわる演出の三段活用の巧みさなどほとんど舌を巻くばかりであるし、中盤のうなるような長回しの前後に真相が隠されていた、という錯視こそが映画的なミステリーであって、桜庭一樹の言葉を借りれば、パズルとしての辻褄などどうでも良いのだと強く思う。(注2) ラストシークエンス、今まで恋人達を観る側だったリーアム・ニーソンがジュリアン・ムーアと出会う、そのさりげないショットの位置とその後の不自然なクローズアップが、この映画が『ミッション・8・ミニッツ』のロマンティシズムに連なる作品であることを示している。そして、その後のラストの台詞とアバンタイトルが示すものに痺れてしまったのだ。 アメリカ映画という身も蓋ないものが、止まらずに回り続けているというその事実に。 (注1)'Non-Stop' Was Unstoppable at Weekend Box Office (http://www.justjared.com/2014/03/02/non-stop-was-unstoppable-at-weekend-box-office/) こういう記事があっさり出てしまうのがアメリカの映画文化の強み、なんだと思う。私が分かる引用なんて、大体英字で原題を書いてググればレビューがあって、言及されている訳です。『2GUNS』だったらペキンパー、『SUPER8』だったら『マチネー』って大体言われている。 それに対してね、もうはっきり言うけど、日本のマスコミや映画に対する宣伝ってちょっと目に余るレベルで程度が低いと思う。 (注2)キネマ旬報の桜庭一樹の『複製された男』評から。『複製された男』の評価は置いておくとして、批判記事を載せた次号から連載が変わるとか、ホントにどうなの?と思います。
by unuboreda
| 2014-09-13 02:31
| 映画 な・は行
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||