まぁ色々と終わった |
・数日前、とても嫌な夢を見た。なんか、今まで当然だと思っていたことが揺らぐような、そんな夢。起きてからしばらくポッカリと心に穴が開いた感じで、なんでそんな夢を見たのか、などと考えてもうまく理由付けできないし、日中でもふと夢の残滓が頭によぎって、なんともいえない複雑な気分になってしまって困る。自分に自信が持てないせいでそんなもんを観てしまうのかな。
チャイルドプレイ
『子供の遊び』という題名から察するに、この映画はただ人形が人を殺す話というだけではなくもしかしたら子供が殺人を犯すような悪魔的なものかもしれないという恐怖を描いた『オーメン』みたいな作品を目指していたのではないだろうか。
カレンの殺害シーンでは一人称視点によってチャッキーの姿は巧く隠されており、もしかしたらアンディがカレンを突き落としたのかも・・・、と思わせるようなシーンになっている。そしてその後アンディが事件の犯人ではないかと猜疑がかけられ、母親の子供に対する信頼が揺らぐ、という展開が続く。シングルマザーが世間から孤立していく姿をもっと深く描写していれば、『ローズマリーの赤ちゃん』と並ぶホラー映画の傑作となれたかもしれない。
・・・なれたかもしれない、というのもこの映画はなんか色々惜しい部分があって傑作とは呼べないから。「チャッキーが殺人鬼の魂が入った人形であり、それが殺人を犯している」という設定を最初はなるべく伏せておけばもっと怖くて深い作品になったと思うんだよなぁ。
カレンの殺人シーンで足跡なんて提示する必要はないし、レイ・チャールズを裏切った仲間を爆殺するシーンもいらないと思う。アンディがチャッキーと電車に乗ってどこかに行ったことだけを映して、そこから警察がアンディを殺人現場で見つけた、という事実だけを提示したほうがマリオ・バーヴァ作品から連なる「悪魔的な子供」というものを描くことができたはず。
しかし、どう考えたって中盤以降で説明すべき「チャッキーが動く理由」を何を血迷ったのかオープニングで説明してしまうんだよなぁ・・・この映画。せめてオープニングのシーンが刑事の回想という形でもっと後にきて、レイ・チャールズなんて名前は最初はテレビのニュースでしか出てこない、という風になっていたら良かったのに。
・・・とはいっても、変に文芸的でないからこそチャッキーというキモい人形が人を殺しまくる、というのを純粋に楽しめる節もある。実際怖いけどどこかコミカルなチャッキー人形で観客をドキドキさせる、ということに映画の主眼を置くなら今までうだうだ書いてきた部分はむしろ邪魔だろうし、制作陣もそこを目的にしているに違いない。(そしてそれはしっかり成功している)映画って難しいよなぁ。