真夜中の子供たち - 藤井道人『宇宙でいちばんあかるい屋根』 |
以下ネタバレ(『デイアンドナイト』、山田尚子『たまこラブストーリー』、山戸結希『おとぎ話みたい』との関係を中心に)
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2020年 09月 22日
2020年製作/115分/G/日本 配給:KADOKAWA 基礎データは映画.comを参照 藤井道人という作家について 藤井道人は『デイアンドナイト』(2019)が強く印象に残っていて、実際に日本映画を語る際に議論の俎上にあげたこともあった。 気鋭の撮影監督と組んでのルックの力強さ、細やかな照明や映像によって象徴的なイメージを突きつける力をひしひしと感じる一方で、現代日本に対する批評を展開していく際に必要な演出の緻密さであったり、具体的な問題に切り込んでいく切実さといったものをどことなく欠いているようにも見え、そこが日本の問題を象徴するようにも思えた。彼が日本の問題に対して意識的でありながら批評ではなく寓意のレベルにとどまっているのも、イメージとそれが醸し出す雰囲気が強いばかりに具体まで切り込む明晰さに至ってないからではないか。『デイアンドナイト』の北村というキャラクターが抱えたいびつさと物語上の帰結はそれを象徴していたように思える。 だからこそ、藤井道人がファンタジックな青春映画を撮ると聞いたとき、期待した面もあったのは確かだ。イメージやルックの力が十二分に発揮されるジャンルは『新聞記者』のような社会派よりも資質に合っているように思えた。だが、いい意味で予想は覆される。『宇宙でいちばんあかるい屋根』で展開されるのは、『デイアンドナイト』における日本の現在を描こうとする意志の、その続きだったのだから。 以下ネタバレ(『デイアンドナイト』、山田尚子『たまこラブストーリー』、山戸結希『おとぎ話みたい』との関係を中心に) #
by unuboreda
| 2020-09-22 12:01
| 映画 あ・か行
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2020年 05月 18日
2018年製作/136分/R15+/オーストラリア・カナダ・アメリカ合作 原題:The Nightingale 基礎データは映画.comを参照 ハリウッドと作家主義の折衷 - ジェニファー・ケントの特異性 ジェンダーの観点から旧来の映画とジャンルを刷新していく現代映画の潮流の急先鋒として、ジェニファー・ケントの名を挙げることに異論が出るはずもないだろう。彼女の作品が殊更に強い印象を観客に植え付けるのはその現代的な主題や壮絶な描写だけが理由ではないように思える。彼女の作品は、古典主義と呼ぶべき映画への信奉を感じるものだからだ。シングルマザーの孤立と恐怖を怪物に仮託させて表現したデビュー作『ババドック 暗闇の怪物』(2014)は、当然ラース・フォン・トリアーの潮流としての神経症映画の系譜を受け継いだ作品だ。だが同時に、サイレント映画が持つ非人間性を恐怖描写に転換してみせる極めて端正なジャンル映画であったことを私たちは思い出したい。 ハリウッドと欧州の作家主義を折衷した上で、自らの主題と音感によって映画を捉え直していく。ジェニファー・ケントの作家性は独特な映画史の受容が根底にあり、最新作である『ナイチンゲール』もそのような傾向を感じさせる作品となっている。 反転した西部劇 夫と子どもを殺された女性が、復讐のために原住民であるアボリジニと共に軍隊を追っていく本作は反転した西部劇という様相を呈している。『捜索者』(1956)をはじめとしたジョン・フォード作品の引用がちりばめた上で、黒人や女性といった被差別者の視点からとらえ直していく。ポリティカルコネクトレスからのジャンル映画のとらえ直しとしては『ジャンゴ 繋がれざる者』(2012)をはじめとしたタランティーノの営みと地続きであるといってもいいかもしれない。 同時に、『ナイチンゲール』は欧州の作家主義の香りを醸し出してもいる。世界の混沌を自然に象徴させて、追うもの追われるもの問わず迷宮として立ち上がっていく様はトリアーを彷彿とさせるし、西洋人たちが偏狭な価値観から孤立していく展開には、どことなくヴェルナー・ヘルツォーク作品の痛々しさを思い起こさせる。殊、目的地へと進む敵役、ホーキンスの暴虐な振る舞いは、矮小化されたクラウス・キンスキーといった趣があり、無法の自然の前に人間性を喪っていく様は、西欧の反知性主義的なまなざしの痕跡を見て取れる。 このように、オーストラリアというエスシニティを背景に、異なる源流を掛け合わせ衝突させていくのが『ナイチンゲール』のスタイルだといえよう。だが、この映画が奇妙で狂気じみているのは、先に挙げた映画のどれとも似つかない静謐さを持っていることだ。このことを考えるために、アンチ・スペクタクルと呼ぶべき要素について考えたい。 More #
by unuboreda
| 2020-05-18 00:00
| 映画 な・は行
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2020年 03月 19日
2019年製作/109分/G/カナダ・アメリカ合作 原題:Bombshell 基礎データは 映画com を参照 ※注意※ 本作だけではなく、冒頭で『ミッドサマー』と『ペット・セメタリ―』について、テーマを含めた言及しております。こと後者に関してはリメイクの変更点など、かなりネタバレになっているかと思われます。何故そうなった・・・。 More #
by unuboreda
| 2020-03-19 00:09
| 映画 ま・や行
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2020年 02月 17日
2020年製作/108分/G/日本 配給:東映 基礎データは 映画com を参照 中村義洋『残穢 -住んではいけない部屋-』(2016)との共通性と違い インターネットのフォークロアを基にした作品、九州が呪いの根源であるという前情報を聞いた時に、どうしても中村義洋『残穢 -住んではいけない部屋-』(以下、『残穢』)の痕跡を見てしまう自分がいたし、事実それは間違いではなかったといえる。デジタルの身体が押し寄せてくる前半部の幽霊表象は『残穢』のラストと地続きであり、妙に逆光を効かせた画面が、陰翳を保ちながらも、どこか非現実的なものとして登場人物の身体の輝きを鈍らせている質感も、やはりデジタル撮影を軸にして、登場人物たちを「影」として演出していた『残穢』の記憶を呼び起こす。光と闇によって実体と幽霊を等価にしてしまった『残穢』をふまえつつ、陰影を鮮やかに浮かび上がらせる照明と撮影に終始目を奪われっぱなしだったことをここに告白したい。
だが、中田秀夫『リング』(1998)における幽霊表象を『呪怨』(2000)で鮮やかに刷新してみせたように、『犬鳴村』は『残穢』を踏襲しながらも後半では真逆のスタイルへとアクセルを踏みこんでいく。そこにJホラーの代表格といわれながら、むしろ様々な他のスタイルを源泉とし過剰な逸脱によってジャンルの再定義をしてきた清水の真骨頂を見た気がしたのだ。 そのスタイルが最もよく表れているのが、前半のクライマックスである病院と橋のシークエンスであろう。背後からひたひたと憑いてくる幽霊達が、虐げられた無銘の群衆を象徴し現世の人々を取り込んでいくという『残穢』を彷彿とさせるシークエンスを、二つの場所をクロスカッティングさせながら事態をどんどん進展させハイテンションに演出していく。その中で、デジタルの音声によって濁らされた水と泡を想起させる童歌の響きと共に幽霊達が駆ける様を、あろうことかジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』(1978)のクライマックスに重ね合わせるのである。(注1)『回路』から『残穢』に至る幽体の不気味さを眼前に迫るおぞましさとして提示したそれは、日本とアメリカのホラーを融合してきた彼のスタイルの到達点であると共に、映画史に残すべき美しい引用の一つではないだろうか。清水が『輪廻』(2006)において、ゾンビと幽霊のルーツであるハーク・ハーヴェイ『恐怖の足跡』(1962)を下敷きに、Jホラーの新しい形を模索してきた希有な作家であったことを私たちは思い出さなければならない。 清水崇という異端 『リング』がシリーズを重ねるにつれてネットワークとシステムが産む非人間性を象徴する色を強め、黒沢清『回路』(2001)がそういったJホラーの傾向を決定的にしたといえる。その上で「日本」という大文字を描いたのが、『残穢』であるとひとまずJホラーの歴史を概観できるかもしれない。日本が高度経済成長の中で切り捨てられた地域性と無名の人々の恨みの蓄積を、日本に遍在している呪詛として描いた『残穢』は、歴史と土着性から切り離された個人の寄る辺なさを恐怖の根源としていた。私たちは、歴史とつながりを喪失した、幽霊のようなものに過ぎない。そのようなシステムにからめ取られたアウラなき身体を象徴していたがために、Jホラーの幽霊は、我々の不確かな生の鏡像であったのである。 しかしながら、そういった通史に対して、思い返せば常に「個」の恨みと罪を見つめていた作家であったのが、清水崇だった。 『呪怨』シリーズにおいて、幽霊を実体として前景に押し上げたことは、恐怖演出としてエポックであった以上に、男性社会それ自体ではなく、抑圧された主体にフォーカスに当てた、という点で意義があるものだった。その個に対する意識、実体への希求が、どちらかといえばジョン・カーペンター『ザ・フォッグ』(1980)に近い幽霊表象につながっており、その罪への意識が後半の展開に影響を与えている。 More #
by unuboreda
| 2020-02-17 21:25
| 映画 あ・か行
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2020年 01月 01日
あけましておめでとうございます。去年は人生について色々考える年でした。今年は、よりよく生きることができたらいいな。
あとですが、『アニクリ』vol.10、「特集 総記:京都アニメーション」に「身勝手な愛を開く魔法の言葉 複層化する時間と間 コマ/ショット性」と題しまして、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』論について投稿しております。山田尚子に代表される京都アニメーションの「作家性」を踏まえつつ、藤田春香が別のあり方を模索してきたのではないかということを『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の外伝2編を中心に論じています。 『アニクリvol4.6』での先行論を踏まえた後だしじゃんけんでして、今年発表できた論考2本については「論点の切り口で差異化ができてない」(新しいことが提示できていない)と自分の限界を感じていました。まぁ、テレビシリーズと劇場版を接続する媒介として意図された今作には合致したスタンスなのかもしれませんが。 その辺を含めてちょっと今年はもう少しちゃんとできたら、と気持ちを新たに頑張るつもりです。東浩紀が匙を投げつつあり、『映画秘宝』も休刊、と批評というコンテンツ自体が危機的な状況である一方で、語るべきことはまだあると信じているので。 年間ベスト 1、小林啓一『殺さない彼と死なない彼女』 この作品を観たとき、本当に精神的に参っていたせいか、観終わってから30分位新宿で泣きながら彷徨っていたんですよね。三度の反復に弱いんですよ私。 宇多丸さんの「ディスコミュニケーション」ってのはちょっとだけ違うと思っていて、その辺は『アニクリ』で書いています。(西谷弘『マチネの終わりに』と藤田春香『ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン 外伝』とテーマを共有している) 2、長井龍雪『空の青さを知る人よ』 長井龍雪って特異な人で、ここ近年のアニメーション作家の中で最も空間に対する意識が高いというか、実写志向なんですよね。青山真治から山田尚子の流れを踏まえつつ、『あの花』のめんまのような共同幻想に絶対回収しないで群像劇として完遂するぞ、という強い意志を劇中感じたし、実際それに救われた気がしました。(同じ映画史を踏まえたであろう石川慶『蜜蜂と遠雷』のが象徴主義的でアニメーションに近い作品のように思ったという) 後半は岡田麻里が天才脚本家なんだと認めざるをえないパワーワード連発で、おっさんは無事に号泣しましたとさ。 3、佐藤佐吉『黒い乙女A』 この映画、アニメーションが描いた主題を実写でしかできない方法論で撮っていく、という今年のテーマを最もうまく出来ていた映画ではないかな、と。満島ひかり版乱歩の評判の良さを聞いてはいたのですが、佐藤佐吉監督、これからちゃんと全作チェックしたいと思います。 ほんとに何も言わずに観て下さいお願いしますとしか。 4、山戸結希『ホットギミック ボーイミーツガール』 本作も影響下にある濱口竜介『寝ても覚めても』(2018)がそうであったように、今後の日本映画を考える上で避けて通ることはできない映画の1本だと思う。当時は全く評価されなかった90年代の邦画が持っていた可能性を最前線で押し広げていて、「時代を背負う」という強い意志を感じる作品。しかも、その時代に対する批評性も内在していることの恐ろしさ。この人にとって空間設計に傾斜した『五つ数えれば君の夢』(2014)が例外であったことに気づく。 5、ルカ・グァダニーノ『サスペリア』 そもそも、ヒッチコックから偏執性のみを継承したアルジェントは映画としては逸脱であり邪道なのだ。その邪道を超えるためには、映画の文法などかなぐり捨てなければならない。そんなほとんど狂気に近い野心が映画に満ちている。 『スタンダール・シンドローム』(1996)に見られる後期アルジェントの象徴主義と政治性を踏まえつつ、より後者を強調するために初期ジャーロに近いルックと掛け合わせるという発想も野心的だし、形骸化した記号・制度に対して個人の身体性をぶつけるという極めて現代的な構図も良い。精神分析的要素と転移による映画の魔を描いているという点で『ドクター・スリープ』を、政治的状況を照らし合わせつつジャンル映画を再定義するという点で『オーヴァー・ロード』と共通しているが、2作がアメリカ映画という正統を背負っているがために、本作の異形さと禍々しさが際だっている。(前者二つのが映画としての完成度は高いといわれても納得はする。) 6、ジェームズ・ワン『アクアマン』 集大成を作ろうとするジェームズ・ワンの強い野心の結晶。好きなものが一杯詰め込まれた夢の実現。 7、森達也『i 新聞記者ドキュメント』 どっかでちゃんと書こうと思うので一言だけですが、過去作の被写体を反復しながら、映画に愚鈍さをさらけ出しながら現状に異を唱えようとする森達也の身体には感動を禁じ得なかった。 8、バーナード・ローズ『サムライマラソン』 多分だが、絵によって象徴される「外国」とは映像技術やCGのメタファーに他ならず、それらから距離をおいて日本が誇るべき優れた役者たちの生を刻印しようとしていく手つきには風格さえ感じる。殊、竹中直人が子どもにマラソンを教えるシークエンスは、古来の日本映画が持つ豊穣さを覚えないだろうか。 国家事業(マラソン)を描くという要請を逸脱し、市井の人々が生きる様を描く群像劇として仕立てあげる反骨精神に痺れるが、そのような目的の異なる人間たちが一直線に走る様をスローモーションで撮ったあの美しいシーンにジョン・カーペンター『ゴーストオブマーズ』(2002)に似た人間賛歌を感じた。 『氷菓』(2017)が『聲の形』(2016)に代表されるアニメーションへの返歌であると昔論じましたが、その流れを踏まえれば、この映画は『黒い乙女A』と同様に新海誠への返歌ではないか。Jホラーの幽霊とアニメのヒロインを重ね合わせたような千尋と主観たる孤独な男性のメロドラマの筆致に、黒沢清とは別の到達点を捉えた一つの作家を見た気がした。 10、太田信吾『解放区』 森達也の社会性・自己言及性と白石晃士(原一男、でも良いのだが、中盤の長回しは明らかに『オカルト』の引用だろう。今年は日本の行く末が心配になる位のドキュメンタリーの当たり年)の主観への傾倒を融合され、自己の問題として日本の貧困を活写している。この作品が製作年に世に出ていれば、時代の最先端として強く歴史に刻まれたのではないかと思う一方、この映画の貧しさが今現在の日本を象徴しているように見えなくもない。ただ、ロケーションも役者も良く撮れているし、技術的に稚雑では決してない。(白石晃士と同様、ゲリラ戦しか出来なさそうではあるけど。) その他、観た映画の中でコメントしたいものを。 #
by unuboreda
| 2020-01-01 23:43
| 映画(雑談・一言レビュー)
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